「経営者JP」社長に聞く!転職・人材業界の30年「普通は聞けない、ここだけの裏話」

「経営者JP」社長に聞く!転職・人材業界の30年「普通は聞けない、ここだけの裏話」

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「経営者JP」社長に聞く!転職・人材業界の30年「普通は聞けない、ここだけの裏話」 「経営者JP」社長に聞く!転職・人材業界の30年「普通は聞けない、ここだけの裏話」

前回のインタビュー記事「「経営者JP」社長が教える今後の転職市場と「転職で成功する人・失敗する人」では、経営者JP代表取締役社長・CEOの井上 和幸 氏に、転職で成功する人・しない人のポイントを聞いてみた。

井上氏は90年代から現在まで、リクルートの社員として、人材ベンチャー会社取締役として、リクルートグループ子会社役員として、そして経営者JP創業者として、人材ビジネスを中から、外から、見てきた。そんな井上氏は、人材紹介業界について日本における普及の草創期から今に至る20年強に渡る期間中の変化をどう見ているのだろうか。今でこそ転職エージェント・人材エージェントという言葉は一般的になったが「この言葉もつい最近生まれたもの」とは井上氏の弁。

今回は、企業の経営アドバイスから人材育成・組織開発、コミュニケーション・メディアビジネス、採用支援・転職支援まで幅広い経験を持つ井上氏インタビューの続編として「転職業界・人材業界、ここだけの裏話」を語ってもらった。

いま転職を考えている人からすれば、驚くような話も多いはずだ。ぜひ最後まで読んでもらいたい。

代表取締役社長・CEO 井上 和幸氏の経歴

代表取締役社長・CEO 井上 和幸氏の経歴

代表取締役社長・CEO 兼 KEIEISHA JP ASIA PTE. LTD CEO
「KEIEISHA TERRACE」編集長
経営者JP総研 所長
ドラッカー学会会員  早稲田二十日会会員  ベンチャー稲門会会員
法人所属: 東京商工会議所 東京経営者協会 日本人材紹介事業協会

1966年、群馬県生まれ。
早稲田大学政治経済学部を卒業後、リクルートに入社。人材開発部等を経て、2000年に人材コンサルティング会社に転職し、取締役に就任。リクルートエグゼクティブエージェントにてマネージングディレクターを歴任後、2010年に「志高き経営トップ・リーダー達が、集い、学び、執行する最高の場」を提供するために経営者JPを設立(開業:2010年4月1日)。
同社の代表取締役・CEOに就任する。
自身も2万人を超える経営者・経営幹部と対面してきた実績・実例から、企業の経営組織コンサルティング・経営人材採用支援・転職支援・経営人材育成プログラムを提供している。

井上氏のブログ「経営者マインドを科学する!

著書(代表著作)

  • ずるいマネジメント(SBクリエイティブ)
  • 社長になる人の条件(日本実業出版社)
  • 係長・主任のルール(明日香出版)

連載(主なもの)

取材・コメント・出演実績

  • 日本経済新聞
  • 朝日新聞
  • 読売新聞
  • 産経新聞
  • 日刊工業新聞
  • 週刊東洋経済
  • 日経ビジネス
  • GQ JAPAN
  • 週刊現代
  • プレジデント
  • その他多数

※参照:経営者JP 企業コーポレートサイト

90年代では人材紹介は一部の職種しか扱えなかった

90年代では人材紹介は一部の職種しか扱えなかった
―編集部
井上さんは、人材紹介業・転職業界に長く関わってこられたと思いますが、そのあたりの歴史やエピソードを教えていただけないでしょうか?

―井上氏
そうですね。僕も人材紹介業にずっと昔からいたわけではないですし、現在私たちは経営層や管理職に特化していますから。とはいえ、新卒でリクルートに入社し、人事部門、広報室などにいたこともあって、直接と間接とで90年代から今に至るまで長らく人材業界を内側から見てきました。だからこそ知っていることも多くあります。

実は90年代でいうとまだ法規制が厳しく、いわゆる人材紹介では一部の職種しか扱えませんでした。派遣の方が紹介業より先に少しずつ規制が緩くなっていきました。90年代半ばのバブルが崩壊したと言われるあたりまでは、派遣や紹介というのはごく限られた領域の職種に対するものだったのです。

しかしバブルが崩壊した結果、職場環境が厳しくなったため、大きな流れとして、働き方の自由度を広げていかないと大変な状態になるという日本の国策的な事情があったのです。

規制緩和に乗って拡大したのが当時のインテリジェンス

それが、たぶん最初に規制緩和の口火を切ることになったわけです。ちょうどその最初の波に乗って裾野を広げたのが、インテリジェンスさんです。

―編集部
インテリジェンスさんが。今はパーソルキャリア株式会社ですね。

―井上氏
そうです。ちなみにリクルートが創っていた「リクルートブック」について聞いたことはありますか?
リクナビの紙版で、昔は業界ごとに1冊になっていて、それが10冊ほどセットになった箱で学生の自宅に届く。“百科事典”と呼ばれていましたね(笑)。

これは新卒の話なんですが、本当に数十cm四方の箱に10冊ぐらい入っているものが、ドーンと無料で学生に届く。それを見て、付属のはがきから今でいうエントリーをするところから就活が始まるというのが、インターネットが現れる前の90年代半ばまでの形式でした。

インテリジェンスさんはそういう時代に、「リクルートブック」などのような集合媒体ではなく、非常に洗練された企業の採用用パンフレットなどを制作されていました。
「差別化しながら新卒採用のリクルーティングをしましょう」といった方針で運営されていて、結構エッジが利いたかっこいい会社というイメージでしたね。

ちょうど私が新卒の時にインテリジェンスさんが登場して。私はインテリジェンスの立ち上げをした宇野さん(宇野康秀氏・現USEN-NEXT HOLDINGS 代表取締役・CEO)の1歳年下なんですけど。
なんかグループの若手たちが独立して結構洗練されたパンフレットを作っているぞ、という話に社内でもなっていました。
当時、私はリクルート自体の採用部門で大卒採用と採用広報を担当しており、リクルートの新卒採用のためのパンフレット類をこだわって作る役割もあったので尚更でしたね。

インテリジェンスが急成長したのは、そうした新卒採用支援ビジネスから、先ほど話した法規制の(第一次的な)緩和もありつつ、紹介業と派遣業がこれから広がりそうだというタイミングに目をつけ業態転換をされたことにあると考えています。
そして、思いっきりその方向性にシフトして、派遣と紹介をメインにした会社としてドーンと90年代後半から急成長したんですね。

90年代後半の人材紹介業の現場

リクルートには株式会社リクルート人材センターという会社が元々ありまして(1998年にリクルートエイブリックに社名変更) 、これが現在のリクルートキャリア社ですね。

当時は法規制の中で進めていましたので、これは私も先輩から聞いた話ですが、やり取りは電話だしメールもないわけです。
だから応募者が履歴書と職務経歴書を手書きで書いて、郵送で送ってもらったものを受け取り、ファイリングしながら電話をかけて、アポイントを取る。

場所も病院の待合室のような感じだったらしくて「○時から●時、○○さん」のような雰囲気で相談を受けていたそうです。
今だったらあまりやらないと思うんですけど「次、○○さん」と呼ばれた所にカウンセラーの方が何人かいて、順次面談する感じだったそうですよ。

人材紹介業の90年代後半に差し掛かった当時の姿

それが人材紹介業の90年代後半に差し掛かった当時の姿で、それから色々あって、インターネットが2000年を境にして紙・郵便・固定電話によるコミュニケーションを順次代替して主流となったわけです。以降、ある意味コミュニケーションや連絡の取り方がだいぶ楽になってきました。

ベンチャー企業の隆盛と共に「会社が作りやすい」社会に

また2000年前後のITバブルも影響しています。結果崩壊はしたものの、結局2000年あたりからベンチャー会社が日本でも続々と生まれ伸びてきたじゃないですか。IT・インターネットが普及したこと、更にはベンチャー会社がどんどん生まれるように会社法もそこから緩和されたりなどして流れが不可逆的に加速したと思います。

会社がつくりやすくなっていく流れの中で若い会社もかなり増えて、ネットのコミュニケーションをベースにしたインターネットビジネスも出てきて、人の流動化がとても進んだ感じはやはりありますね。

また、それまでは紙媒体に求人広告が掲載されていて、それを見て応募するという流れが、概ね新卒も中途も一緒でした。
当時リクルートでいうと「B-ing」(ビーイング・1988年創刊、それまでは「週刊就職情報」)という情報誌がありましたが、パラパラと見て応募先を選んで、電話をしたりして応募するところから始まるわけです。

現在の「リクナビNEXT」の誕生

その中で生まれたのがリクナビです。パイロット版が1995年に生まれて、サービスインは多分96年からだったと思うので、1996~1997年に新卒のリクナビがスタートしたと記憶しています。
中途採用媒体(リクルートナビキャリア、現リクナビNEXT)のほうは、2000年頃からでしたでしょうか。

現在のリクナビNEXT
※現在のリクナビNEXT

そうすると紙しか情報がなかったものがネット上で見ることがでるようになって、最初はメールフォームでただ受付情報が飛んでくるだけだったものがシステムも徐々に改善されてDB上に蓄積されそれを様々な形で抽出閲覧できるような形になったり(当初、ASP、その後、SaaS、クラウドと呼ばれるようになりました)という風に、WEBでエントリーする形まで整っていきました。
こうして、2000年を境に人材紹介型での転職相談の裾野が広がった経緯がありますね。

ただ、まだ2000年代前半では、リクナビNEXTに代表されるような、要するにネットではあるものの広告出稿型の転職が多かったと思います。

―井上氏
僕は一度リクルートを99年で出て、4年ほど他でベンチャー会社の経営に参画していました。

2004年に現在の株式会社リクルートエグゼクティブエージェント(当時はリクルート・エックスという社名)で、まだ10人ぐらいの本当に立ち上げ段階でしたが、そこで一緒にやろうと当時エックスに出向していた先輩に誘っていただいて。

リクルートの沿革・歴史
※参照:リクルートの沿革・歴史

私はリクルートを卒業して2000年に参画したベンチャーでは結構何でも屋で、営業はもちろん、システム開発責任者、事業企画責任者、バックオフィス部門の統括、制作部門の責任者など、まあ、それはその後、今の経営者JPに至るまで同様ではあるのですが(笑)超マルチタスク兼務責任者でした。で、要するにベンチャー経営陣として、これから有望なビジネス、自社が今後取り組むべき事業を常に構想し立ち上げるということをやってきている訳ですが、2000年代初頭、先ほどご紹介したような日本におけるベンチャー企業の勃興なども相まって、「日系企業におけるエグゼクティブ人材領域はこれから来るな」「事業的にはプレイヤーが不在だ」と思っていました。

僕がそう思うくらいですから、リクルートも、グロービスさんなども、それぞれ2000年前後にマネジメント層の人材紹介会社を設立し始めていて、先の人材ベンチャー役員を2003年末で退任することにしたタイミングで、グロービスさんとリクルート・エックスのお話があり、当時のグロービスマネジメント・バンクという会社のエグゼクティブコミッティに数ヶ月参画した後、実は一度起業も考えたのですが、結果としてはリクルート・エックスに参画することにしました。2004年の7月です。

グロービスの沿革
※参照:グロービスの沿革

中途採用の募集が広告出稿型から紹介形式にシフト

中途採用の募集が広告出稿型から紹介形式にシフト


―井上氏
リクルート・エックスではコンサルタントをやっていましたが、入社1年近くのタイミングで事業企画の責任者を兼務することになり。その2004、5年あたりで急速に中途採用募集の流れが変わっていって。広告出稿型で応募者を集めるより、紹介会社に頼んで紹介してもらった方が、結果としては紹介料をそれなりに払うけど効率はいいよねという風に。

広告出稿も、大手の場合、下手すると何百万かそれより一桁上ほど使ってしまうんですよ。応募者リストは多数集まる、しかしいざ選考となるとなかなか会いたいと思えるプロフィールがない、お会いして見てもピンとこない、など。

90年代半ばにバブルが崩壊して以降、間接部門はどんどんアウトソースされるようになりました。生産性を上げなきゃいけないとなったらコスト部門はスリム化せざるを得ないですからね。

今20代から30代前半くらいの皆さんは意外に思うかもしれませんが、90年代より前というのは、人事グループにかなりの人がいたんですよ。
社員を多めにあてたり、派遣さんを沢山雇って。大手などでは人事部の採用チームは社員で数十名いて、新卒採用シーズンの時期が来ると、プラス派遣の方々をかなりの人数追加投入するというのが当たり前といった状況でした。
それがバブル崩壊後は、正社員をそんな人数、人事においておくのはムダだとなり、それまでは人事関連情報や採用関連の情報を外部委託するなどというのはタブーでもあったのですが、ある面の割り切りとともに内部体制は超スリム化、その上で業務をどんどん外出しするようになっていったのです。

結果、採用担当者も90年代後半から急速に人数が絞られるようになっていきました。採用選考業務も一気に少人数でさばくようになったため、エントリーがいっぱい来ても「そんな会えないよ」という状態でしたね。
そうすると、結局今でいう人材エージェントがスクリーニングをかけてくれて、それなりの人材候補者の中から選考していけばよいというのはやはり生産性が高いよねという評価に変わっていったんですね。

リクナビNEXT大丈夫?リクルートが抱えていた悩み

リクナビNEXT大丈夫?リクルートが抱えていた悩み


―井上氏
私がリクルート・エックスに在籍した当時は、人材紹介領域(斡旋カンパニー)の経営ボードでしたので、関連する領域議論も色々と見ました。

当時、リクルートも人材領域での各事業をどう位置付けて進めていくべきか悩んでいた部分があったと思います。
リクナビNEXTがやはりリクルートの祖業だし稼ぎ頭なんですが、リクナビNEXTなどの<セントラルメディア>が価値を落とし始めていたんですね。

一つは、コア人材はリクルートエイブリック(現リクルートキャリア、※当時のリクルート人材紹介センターが1998年に社名変更) のような対面型のサービスに顧客が重きをおき始めている。
もう一方では、各エリアで地元で働く多くの人たち、現業職の方々、パート・アルバイト職の人たちだと、(これもリクルートが作った)タウンワークなどのフリーペーパーでエリア限定で人を集めて採った方が、やはり良いわけです。

だからリクナビNEXTとか、その前だとリクルートブックやB-ing、リクルートが90年代まで20年、30年スパンの稼ぎ頭だったものから、顧客側が他の形態のソリューションに流れ出ていってしまったという現象が起こったんです。

そして、インテリジェンスさんがその時にやったのが(投資ファンドのカーライルが仕掛けたのですが)学生援護会を買収するということ。学生援護会を買って、紹介と媒体をくっつけたわけです。
当時、インテリジェンスさんも親会社のUSENの経営不振に巻き込まれ経営強化しなければいけない状況でもあった中で、面白い手を打ったなと思いましたね。

だからリクルートより先にインテリジェンスさんが、学生援護会という媒体会社を買って、自分のところの紹介とサービスをくっつけちゃったので、ある意味インパクトがありました。
以上のように2000年代前半あたりから、人材紹介業というところに色々な意味で価値が出てきて、ビジネスもガンガン伸びていって人が集まってくるようになった、という背景があります。

その結果、リクルートエージェント社がどんどん人を増やして伸びていったのが、2000年代半ばですね。

リーマンショックがリクルート・人材業界にもたらした混乱

リーマンショックがリクルート・人材業界にもたらした混乱
※画像引用:ロイター通信

―井上氏
そうこうしているうちにリーマンショックが起きて、実は私はその頃、この会社の準備・創業をしていましたから、個人としてはリーマンショック後のインパクトをあんまり感じていないのですが。

ただリクルート本体は媒体業を行っていて、先ほども話したように、少々悩んでいたところにリーマンショックが起きたから非常に大変でした。当時、同期がリクルート本社の求人部門の部長をやっていたんです。
彼に確か2008年の暮れだったと思いますが、相談されたのが「リーマンの影響を受けて一気にキャンセルが起こっている」ということでした。

ご存知かもしれませんが、新卒だと大体お盆明けあたりから大手では、広告掲載のためのプレゼンテーションをして受注をどんどん取っていって、冬場にリクナビがOPENしてという流れになっていますよね。
ちょうどその秋口、だから大体、大手だったら1回発注をしてくれていた後に、リーマンショックがどーんと顕在化して、もうみるみる経済情勢が冬場にかけて悪くなってきました。

本社の求人事業営業部門の大組織でも、日商の10倍くらいの大型キャンセルが連日続くという状況で。最初は「どうするんだ?どうすればいいんだ?」といった雰囲気で大慌てだったそうです。
しかし、これはもうジタバタしてもしょうがないから、もう一回クライアントの経営者としっかり膝詰話をしようと。クライアント自身もリーマンの余波で大変なことになっているわけですからね。
だから、トップの方々と直接話をしよう、「そうだ、もう一回、昔のようにトップアプローチやろう」という方針に部長会でなって。

部長人が全体の部会で営業メンバーに、「トップアプローチをやるぞ!」と言うと、メンバーたちは「トップアプローチって、なんですか?」と…。
リクルートがグラントウキョウサウスタワーに移転した直後だったのですね、リーマンショックが起きたのが。2000年代、リクルートはもはや「リクルート事件の会社」ではなく「新規事業を次々と生み出す会社」「ネット事業にも進出している情報産業会社」で、非常に賢い優秀な新人たちが、「有名企業」「大手企業」であるリクルートに毎年入社してきていました。
そんな彼らが、いきなり「トップアプローチだ」と言われても、特に都心部の大手担当ですから、もはやトップに営業活動などする必要などなく、予算化された窓口に営業している状態だった訳です。

私は当時、リクルートエグゼクティブエージェント(2006年にリクルート・エックスから社名変更)のマネジメントで、経営者をカウンターパートとして日々対面で話をし、ニーズを掴むようなことを私たちがやっていましたから「今、経営者は何考えてるのか話してくれ」という話がありました。グラントウキョウ本社のプレゼンテーションルームで50〜60名ほどの営業メンバー向けに勉強会をやりました。
それだけ、リーマンショックがリクルート・採用市場に与えた影響は大きかったということです。

エグゼクティブ・管理職層の求職者が増加

エグゼクティブ・管理職層の求職者が増加


―井上氏
そういった背景もありつつ、2000年以降の大きな流れとして、日本でも「エグゼクティブ・管理職層」の転職・求人ニーズが表出してきたのが、現在の経営者JPにも繋がっています。

現在JACリクルートメント社の社長を務めていらっしゃる松園 健 さんは、リクルートエージェントの執行役員でいらっしゃった方で2005年から2008年までリクルートエグゼクティブエージェントの役員・社長を務められ、僕は松園さんと同社事業責任者をご一緒させて頂きましたが、2009年にリクルートエージェント側に戻られて、そこで松園さんに与えられた役員ミッションの一つが、以下の問題を解決することでした。

ハイキャリア層が登録に来ても「案件を紹介できない」状態

リクルートエージェントに求職者が沢山登録に来る中で、クレームというのは色々ありましたが、「年配の方に登録頂くものの、案件を紹介できない」ということが増えていたのです。リクルートエージェントが持っている案件は若手中堅中心ですから致し方ないのですが。

ちなみにこれは私がリクルート・エックスに転職した当時、既に積年の課題だったといえます。
なんだかんだ言って私もいい年になりましたけど、私の10〜20歳上ぐらいまでの世代(60~70代)より下は、もう変な話、演歌も聴かないし、概ねサザン・ユーミン世代以降ですし、若手中堅時代に既に転職媒体が存在していた社会人だった訳ですよね。

一方で、ひと昔だと年配の方がエージェントに転職相談をするということはほぼなくて、ごく一部の外資系マネジメントの方々以外の多くの日系企業につとめる人たちは、縁故に頼るか、銀行経由か、あとはハローワークに相談に行くか、という感じだったのですよね。それが、気がつけば2000年代からはリクルートエージェントに上の世代の方もどんどん登録するようになった。

ただ案件対応をしていないので、登録があっても何も返せない。すると大げさな話、「この俺様がせっかく意を決して登録したのに。一応、俺も名だたる会社の部長だぞ、役員だぞ。その俺様に何の紹介もないのかよ」と(苦笑)。

経営者JPを創業した理由もそうですが、政局的に見ると、やはり2000年以降でベンチャーを中心に日本で急成長企業が沢山出てくるし、グローバル化したので。90年代までとは違う意味で、ミドル~シニア層やエグゼクティブ層を外部から採用したいという声もにわかに勃興してきました。

この領域は今後大きく広がるし社会的な意義も非常に大きいと思ったからこそ、私もリクルート・エックスに移籍を決めましたし、更により深く幅広くこの市場に対して新しい価値提供をし続けたいという想いを突き詰めたら、現在の経営者JPのような事業形態になっていたという部分があります。

ただ、リクルートエージェントもミドル~シニア層の対応策を何も考えなかった訳ではありません。内部に幹部層を対象とするチームは色々な形で設けられ、再編されで、試行錯誤を繰り返していました。

リクルートがヘッドハンティング領域を外部開放

このような中、2000年代末、松園さんがリクルートエグゼクティブエージェントの社長からリクルートエージェントの執行役員に戻られて、上記のようなリクルートエージェントへのミドルシニア層の登録者については、リクルート内だけで解決しなくても良いのではないか、外部のブティック型や個人型でミドル層やヘッドハンティング領域をやっている人たちにその層の登録者DBを外部開放するWIN-WINモデルに踏みきろうということに至りました。
リクルートは元来、自前主義色の強い企業でしたが、「ここは四の五の言わずにやろう」という流れになっていました。

リクルートエグゼクティブエージェントもその「お客さまの1社」になること、私も事業開発の責任者でもありましたので、この外部解放スキームにグループ会社側から関わることにもなりました。ちなみにこのスキームはその後、2010年にリクルートエージェントから当時のリクルート本社に事業譲渡されています。現在、リクナビNEXTの登録者DBを外部のエージェントが利用する「RAN(リクナNEXT Agentネットワーク)」です。

そしてそのちょうど同じくらいのタイミングで2009年に創業されたのが、ビズリーチさんです。

ヘッドハンターをポータル化した「ビズリーチ」の誕生

ヘッドハンターをポータル化した「ビズリーチ」の誕生
※参照:https://www.bizreach.co.jp/

創業者の南 壮一郎 さんが楽天役員の島田 亨 さん(インテリジェンスの共同創業者)など著名な力ある先輩経営者の方々の支援も受けてビズリーチを立ち上げたわけですが、南さんが目を付けたのが「もっと人材市場において適正な形があるんじゃないか」ということです。

当時はヘッドハンターも1社ごと専業になっていましたから、それをポータルにしてあげることで、もっと活性化して「各社で閉ざされない転職、採用」の支援ができるんじゃないかと。

私は当時楽天さんとも取引をしており、リクルートグループの先輩ということなどのつながりもあって当時の役員の島田さんとも面識があって懇意にしていただいていました。

それで、「井上君、ちょっとこういうの始まるから、面白いと思うんで話聞いてあげて」とおっしゃられて、ビズリーチさんが立ち上げるときに、リクルートエグゼクティブエージェントの役員としてお話を伺いました。面白いなと思ったので私は使ってみたかったのですが、当時の斡旋カンパニー、リクルートとしては「競合NG」。当時のリクルートエージェント社長、斡旋カンパニー長は、現在Jリーグ5代目チェアマンを務められている村井さん(村井満氏 ・当時本社役員兼リクルートエージェント代表取締役)。村井さんに軽く一蹴され、僕も先の通り当時のリクルートの自前主義はよく理解していましたから、それ以上は強く要望もせず、でした。
逆に経営者JPの起業を決めたときには、紹介免許を取得次第、参画しよう、と思いました(笑)。

―編集部
なるほど。だからでしょうか、人材紹介系って独立してやっている方が多いですよね。

人材紹介業の独立は「立ち上げてから」が大変

人材紹介業の独立は「立ち上げてから」が大変

―井上氏
そうですね。職業紹介免許を取ること自体は、ある程度手金があれば可能ですしね。本当はしっかりとしたオフィスもないといけないんですけどね。
ただ、実際にやってみるとわかると思いますが、しっかり事業として実績を出すことができるプレイヤーは比率としてはごく少数です。免許取ってすぐ出来るだろうと思ったら、そうはいかないんですよね。若手だろうがエンジニアだろうが幹部層だろうが、どのレイヤーでやったとしても、相応以上の顧客アセットと、何よりも人材マッチングでのセンスとノウハウがない限り、意外と実績出ないんですよ。

人材紹介業の免許取得者は5,000~6,000社

ざっくりと免許取得会社数は現状おそらく5,000〜6,000くらいらしいですね。有料職業紹介事業所数(届出のある事務所拠点数)で1万9000強のようです。
ただ、1つのベンチマークになるだろうなと思うのは、ビズリーチさん・リクルートさん・エンさんとのきちんとした提携スキームの中で稼働していて継続性のある結果を出し続けることができている会社は300〜400社ぐらいなんです。

安定した実績を出して稼働しているのは一握り

だからどういう領域でやっていたとしても、一定かつ安定的に実績を出して、人材大手のポータル系企業の取引審査が通って稼働がしっかり認められる会社というと、まあそんなものかなと感じますね。

―編集部
限られてくるということですね。確かに300〜400社は意外と少ないですね。

―井上氏
とはいえ全国でそのくらいの規模というと、結構な数があるとも思えますね。

―編集部
そうですね、拠点もちゃんと持っている会社と考えると。最近だと、結構ホテルラウンジとかで、相談対応するという方も多いですね。

―井上氏
正直、どうなのかなって思っていて。僕も最初ヘッドハンティング領域をメインに始めた時に、そういう対応方法をみんな考えますし、かっこいいイメージはあるじゃないですか。

ただ、あんな人がいるところでレジュメ広げて相談しているのを見てふと思ったんですけど、私たちは転職の話を結構お偉いさんとするわけですよね。「これ聞こえるの、あんまり良くないぞ」と思いました。たまに私も転職相談じゃなくても、待ち合わせや合間でそういうラウンジにいた時にやはりそれらしい会話を聞きますから。聞く気が無くても耳に入ってきますよね。それに、それなりの人なら、必ず社内外、取引先など誰かに見られているものです。老婆心ながら、大丈夫ですか、と。

―編集部
そうですね。

―井上氏
「この話、ここでしていて良いのかな?」と。うちはお客様の希望によっては外でもやりますが、基本はやはりちゃんとオフィスに来ていただいて、お互いに変な気を遣わずに、本音を話せるようにしたいということは強く思っていました。

―編集部
私がお会いした中で主にラウンジを使ったりしているのは、小回り重視の方や各地に足を伸ばしたりしている方が多かったですね。

―井上氏
あとは変な意味じゃなく、個人でやっている方にとって拠点自体は地の利もスペース自体もそんなにいい場所じゃなかったりするから、逆にそういうラウンジの方が良いというのもあるんですけどね。

「転職エージェント」という名前の成り立ち

「転職エージェント」という名前の成り立ち


あと「(転職・人材)エージェント」という言葉がありますよね。人材エージェントなど、今は普通に言うと思いますが、実はそんなに昔からある呼び方ではないんです。いつできたと思いますか?

―編集部
私の記憶だと、2005年~2007年くらいにはエージェントとして利用した記憶がありますね。

―井上氏
そうです、2006年にリクルートエイブリックから「リクルートエージェント」に社名変更したのです。
※同時にリクルート・エックスは「リクルートエグゼクティブエージェント」に社名変更。

リクルートキャリアの歴史
※参照:リクルートキャリアの歴史

実は私、何でも屋という話を先ほどしましたが、リクルート・エックスからリクルートエグゼクティブエージェントと会社名を変更するプロジェクトもやりました(笑)。

これだけ世の中みんなが普通に「人材エージェント」とか「エージェント」と呼ぶようになった生みの親は、先ほどお話に挙がった村井満さん(第5代日本プロサッカーリーグ理事長※Jリーグチェアマン) なんですよ。

振り返りますと、リクルート・エックスやリクルートエイブリックという社名はリクルート本社(株式会社リクルートホールディングス)から指摘を受けていたんです。
本社には「ブランドマネジメント室」という部署がありまして、2000年に「リクルートの何屋さん」という風に、社名を分かりやすく整えようという方針を出していて、準ずる社名変更も各グループ会社で実施されました。

リクルートエイブリックはその際に変更せずに残っていて「エイブリックって何?」と言われていたわけです。リクルート・エックスもそうですね。

―編集部
確かに、ぱっと聞いたところだと分からないですね。

―井上氏
そうです。だから社名を「ファンクション名」にせよということをブランドマネジメント室が指針とし、そうでない社名の各社には是正勧告が出ていた訳です。
私が新人時代からずっとお世話になっていた星野 俊夫さん という方がいらっしゃるんですが、その星野さんが制作部署のトップクリエイターからブランドマネジメント室に異動していまして。

私が2004年にリクルート・エックスに行くと、お世話になった方々もいるし、人事や広報もやっていたので知り合いも多いですから皆さん声をかけてくださって。主要な方々に会いに行っていました。

それで星野さんとも「出戻りました(笑)」と挨拶したら、「お前のところ、問題だぞ」と言われて、いきなり「社名変えろ」と(笑)。

ちょうど名刺のデザインとかも変えたかったから、どこかでやらなきゃいけないというときに、親会社であるエイブリック側もいい加減対応するかということで、「じゃあ、エックスも合わせて変えましょう」となりました。

ただ、やはりファンクション名にするようにと指示がありましたから「パートナーズ」とかでは駄目だねとか。その時に村井さんが「“エージェント”という言葉を広めよう、アスリートの代理人をエージェントと呼ぶように、我々は個人の代理人であり企業の代理人なのだ」とおっしゃったんです。
村井さんもJリーグのチェアマンになるぐらいスポーツ好きな方なので、やはり代理人という発想があって。人材紹介行は顧客のプロデューサー業なんだ、代理人業なんだという想いから「リクルートエージェント」にしたいとおっしゃっていました。

「エージェントってどうなんだろう?意味合ってるのかな?」という声もありましたが、でも大勢は「確かにあるね。」と納得しました。企業側と個人側、本来的にはスポーツなどの代理人は個人側の立場に立つわけだけど、両方のエージェント(代理人)を務めてマッチングを作るという意味があるんだ、と。

―編集部
背景の想いを聞くと、分かりやすいですね。

―井上氏
それで親会社がリクルートエージェントだから、じゃあこっちはエグゼクティブだから「リクルートエグゼクティブエージェント」に決定しました。
で、最初に問題に思ったのは「言えるのか」、「領収書とか長くて書いてくれるんだろうか」とか(笑)。それで「みんなでちょっと言ってみよう」とか。「はい、リクルートエグゼクティブエージェントでございます。あ、意外と言えるね」なんて最初はやっていました。

―編集部
今ではエージェントという言葉も馴染みがあるし、言いやすいですね。

―井上氏
ちょっと話は逸れますが……リクルートマネジメントソリューションズという会社があるんですけど、リクルートマネジメントソリューションズの子会社に、リクルートコミュニケーションエンジニアリングという会社があるんですね。ここは私が知っている限り、グループで一番社名が長いんです。まあリクルートコミュニケーションエンジニアリングがあるし、同社も名刺にも社名がちゃんと収まっていたので、それより文字数少ないんだから、ということは綺麗に入るよなと。

まとめると、人材業界でいうエージェントは、実はその村井満さんがつくった言葉なんです。村井さんが図らずもその後、ご自身の長年の夢を叶える形でJリーグのチェアマンになったこともあり、そういうスポーツ代理人の意味合いから「人材エージェント、転職エージェント」という呼び方は発祥しているというのは、皆さん、面白く感じるのではないでしょう。

―編集部
なるほど……非常に興味深いエピソードを沢山聞かせていただきました。今後の転職・人材業界について最後に一言いただけますか。

―井上氏
ここ4年ぐらいだとWantedlyさんのような、カジュアルなリクルート活動の基盤が大きく広がってきていると考えています。
私たちはハイキャリア・上位層をターゲットにしているので少し違うんですが、やはり若手のエンジニアの方や若手層の方などに向けて、Wantedlyのような形で「いきなり面接じゃなくても、接点を持つところから始めよう」というのは、一つのスタイルとして定着してきている気がしますね。
一方で私たちはリーダーとなった皆さんがその後マネジメントや経営層で活躍されていくキャリアを中長期スパンを含めて支援しています。そのため、30代以降の世代毎にマッチしたキャリア支援、転職支援のスタイルやノウハウを独自のスタイルで提供していますが、転職ありきでなく現任のリーダー人材、経営人材としてご活躍頂けることが非常に大事であり、そのための育成機会や情報提供をインハウスでも公開型のセミナーや情報サイト(「KEIEISHA TERRACE」)などでも積極的に展開し、優秀なリーダー・経営者ネットワークを拡げています。

いま、エージェントそれぞれの強みに応じたDBに期待することと平行して、企業各社が自社でデータベースを持っていこうという動きもありますが、実はこの自社DB化の動きは最近始まったトレンドではなくて昔からあったものなんです。
IT企業なども、80年代あたりからそういう動きをしていました。ダイレクトリクルーティングはどこか新しい言葉のように言われますが、別に新しくなくて、逆に昔は全部ダイレクトリクルーティングだったんです。

それが先ほどお話ししたように、どちらかというと自社でやりきれなくなったから、色んな意味での広告だったり、仲介業がサポートするようになってきました。

ただ、そのやり方で市場が活気を呈してくると、自社のために必ずしも全部動いてもらえるわけでもなかったり、外部の動きだけでは足りない時は自分たちで穴埋めしないといけない。もう一回、自分たちで直接やってみようかという今の動きに繋がるわけです。

要するにこういう採用の動きにはたぶん「振り子」のようなもので、長い目で見れば繰り返しているという感じなんでしょうね。
一方ではAIの活用などによるHR-Techの新たな動きも出てきています。この辺の潮流と変化については、またどこかでお話しする機会があればと思います。

井上氏写真

―編集部
2回に渡ってお話聞かせていただき、ありがとうございます!

―井上氏
ありがとうございました。

経営者JPの企業情報

株式会社経営者JP
代表者:代表取締役社長・CEO 井上和幸
設立:2010年
資本金:1000万円
従業員数:16名
住所:東京都渋谷区広尾1-16-2 VORT 恵比寿Ⅱ 6F
グループ会社:kEIEISHA JP ASIA PTE.LTD
運営サイト:
経営者JP エグゼクティブサーチお問合せ
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Career Rules編集部

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